毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

『性のタブーのない日本』
日本人が性をどう捉えていたか、橋本治さんがその変遷を解説した新書です。

一言で感想を云うと「おもしろかったー!」

特に、高校の古文の授業では絶対に解説されない『源氏物語』の世界が個人的には興味深かく、あー、平安時代はそのような時代だったのかと。源氏物語の何気ない一文に含まれている男女の仲の暗黙のルール。光源氏はこういう人物だったと学校で解説したら、古文の時間はエロス満載の時間になりそうです。

昨年、東京で長期に春画展が開催されてましたが、行った人(女性)に聴くと、なんだかどの絵もアッケラカンとしてて、特に女性が楽しそうで見てて楽しかったわーと云われてました。かつての日本は大らかなエロスに満ちた国だったんですよねー。


まずは日本の神話、古事記から。イザナミ、イザナギの国生みはまさにダイレクトな描写です。
八尋殿が出来ると、イザナミの命はイザナミの命に「あなたの体はどういう風に出来てるの?」と尋ねます。《なが身はいかにか成れる。》です。自分と違う相手に対する好奇心が発動したんでしょうね。

それに答えるイザナミの命の《あが身は、成り成りて成り合わざる処一処あり。》は有名です。「私の体にはふさがっていないところが一ヶ所ある」と言うべきでしょうか。その答えを受けて、イザナギの命は《あが身は、成り成りて成り余れる処一処あり。》と答えます。そうなると話は簡単で、「私の余っているところをあなたのふさがっていないところに入れればちょうどよい」です。

だからイザナギの命は、《このあが身の成り余れる処をもちて、なが身の成り合わざる処に刺し塞ぎて、国土を生み成さむとおもふ》と、イザナミの命に提案します。「性器を表す単語」が登場しないだけで、言われていることは非常にストレートです。

(中略)

「まぐわう」とか「まぐわい」ということになると、現代でも十分にいやらしい意味があって「交合」という漢字に「まぐわい」というルビを振ったりしますが、(中略)「まぐわう」は「目交う」で、視線が合うことなのです。

昔は家族は別として、男女が顔を合わせることはありません。だから、他人である男女が顔を合わせてしまったら、もうそこに「性交の合意」が出来てしまうのです。そういう背景があるから、「視線が合うと性交渉」となるのです。


高校時代、お気に入りだった百人一首の1つ、『逢い見ての後の心に比ぶれば、昔は物を思わざりけり』は、高校時代習った解説はもっとソフトだったと思いますが、こちらもダイレクトな大人の歌です。
《逢い見て》は、ただの「逢って、見て」ではもちろんありません。女のいる簾の中に男が入って「逢って、見て」するのです。「女の簾の中」は寝室と同じです。だから当然、権中納言敦忠はやっちゃったんですね。だから、そういう経験をした後で思うのですー「やる前はなんにも分かってなかったな」と。(中略) 

うっかり見ればエロチックな表現なんかない、ロマンチックで優雅な歌に見えるかもしれませんが、《逢い見て》はしかるべき実行行為を表しているのですから、このロマンチックな「優雅」にはリアルな「肉体の重さ」があるのです。


源氏物語が書かれた平安時代、貴族階級の女性は、人に顔を見せることはしませんでした。結婚したあとも、当時男性は通い婚で、暗くなって女性の元を訪れ、夜明けに帰っていきますから、真っ暗闇の中で事に及び、朝日が昇るまで妻の顔を見られない。妻が夫にも顔を見せたくないと思っていたら、夫は自分の結婚相手の顔を知らずに結婚が続くこともあったらしい。。。。

日中、高貴な女性は人に逢うときも御簾をたて、さらに内側に几帳をたてて姿を全く見せないようにして人と対面し、会話も小声で自分に仕えている女官を経由。男性は、その見えない向こう側に女性が「いる」ことを想像して妄想を広げていたらしいんですよねー(さらに高貴な女性は滅多に外に出ないので、男性が女性とすれ違うチャンスもなく、当時は必然的に同性愛が多くなったそうです)。

人の噂話と御簾の向こうに女性がいる気配だけで、恋をし、そして和歌を交わしながら3日女性のもとに通う。3日通えば晴れて女性の御簾の中に迎えられるが、「逢う」も「見る」も全て暗闇の中。

気配と和歌と妄想で3日間で恋心をつのらせ、3日後、今度は一気に肉体関係(しかし顔も分からない暗闇のなか)。終わったあとは会話を交わしながら夜明けまでいるのが礼儀だったそうですが、それにしても、貴族が夜ごと夜ごと恋愛にうつつを抜かせることができた平安時代は、まさに平安な時代だったんでしょうねぇ。

そして、そういう関係を持つことが、人にとっては当たり前のことだったので、明治になるくらいまで日本人は大らかに性を楽しんでいたようですよー。世界一回数が少ないと云われる今の日本ではありますが。。。



by hiroshimapop | 2016-09-01 07:23 | おススメBOOKS | Comments(0)