『人間を磨く』
2016年 05月 30日
『神の探求』は、もともとは、ケイシーのような超能力を発揮したいと願った人が、どうすればケイシーのようになれるかをリーディングに訊ねたことから始まった、一連のリーディングを元に書かれた魂磨きの本。
眠れるケイシーは「霊能開発を目指してしまうと、人は人生を誤ってしまう。そうではなく、霊性向上を目的として自己を磨きなさい。もしその過程で超能力がその人の人生に必要ならば、必要な能力は自然に与えられてくる」とアドバイスしたことから、超能力開発のための本ではなく、霊性向上の一冊となっています。
当時、10数名の人が、14年間にわたってとられた約130件のリーディングをもとに霊性向上と自己鍛錬の道を歩き始めたそうですが、『神の探求』の学びが深まっていくにつれ、ある人は「その人のことを心に思うだけで、瞬間的に癒すをおこす」ことができるようになり、またある人は、ケイシーによって「この人はキリスト意識に到達することができた」と云われた人もいたそうです。
というわけで、今日は『神の探求』をご紹介・・・といきたいところですが、今日は別の、もうちょっと読みやすい本をご紹介。
ちょうど昨日、一昨日の講座の往復の電車の中で読んでいた本が人間を磨くをテーマにしたこの本でした。『神の探求』はまだハードルが少し高いと感じる私のような人間には、この本は、ちょうどよい補助教材になりそうです。
新書で読みやすいのと、誰にでも身に覚えがあるテーマやエピソードが紹介されています。
ケイシーの『神の探求』もこの『人間を磨く』も、人間磨きのために、どこか人里離れて苦役を伴う修行をしたり瞑想三昧することを求められるわけではなく、家庭生活や仕事といったごく普通の日常を送りながら、どのように周りの人たちと接していけばいいのかを述べています。
『神の探求』には、その根底に神や信仰が確固としてあり、この『人間を磨く』にはそれがない、というところが大きく違いますが、人と接するとき、特に難しい人間関係が生じたときの心の持ち方、置き所は参考になるところ大です。
我々が、この人生において、人間を磨き、人間力を高めていくために、どのような場で、どのような修業をすればよいのか? 端的に述べよう。
日々の仕事や生活における「人間関係」。
それが最高の修行の場であろう。(中略)
人間関係における、不和や不信、反目や反発、対立や衝突、嫌悪や憎悪などの痛苦な経験は、その処し方を間違えなければ、人間を磨き、人間力を高める最高の機会になる。逆に、処し方を誤るなら、自分の人間性を寂しい次元に落としてしまうこともある。 (中略)
著者は
人間を磨き、人間力を高めるための道は、古典を読むことでもない、山に籠もって修行することでもない。日々の仕事と生活において、縁あって巡り会った人と正対し、格闘することである。(中略) ただし、格闘とは、もとより、喧嘩をすることではない。それは未熟な人間同士が不和や不信、反目や反発、対立や衝突を生死、心がぶつかり、心が離れながらも、互いに相手を許し、自分の非を認め、心を開き、相手に謝り、理解し合い、和解しながら、互いによき関係を築こうと、もがき、努力することである。
それゆえ、その「格闘」の本質は、「相手の心との戦い」ではない。
自分の心の中の「小さなエゴ」を見つめること。それが「格闘」ということの意味である。
と書いていますが、その格闘の方法として、下記の7つ紹介しています。
第一の「こころの技法」 ‐ 心の中で自分の非を認める
第二の「こころの技法」 ‐ 自分から声をかけ、目を合わせる
第三の「こころの技法」 ‐ 心の中の「小さなエゴ」を見つめる
第四の「こころの技法」 ‐ その相手を好きになろうと思う
第五の「こころの技法」 ‐ 言葉の怖さを知り、言葉の力を活かす
第六の「こころの技法」 ‐ 別れても心の関係を絶たない
第七の「こころの技法」 ‐ その出会いの意味を深く考える
人の悩みのそのほとんど全ては人間関係に起因すると云われています。職場や家族で、まさにいま、身近な誰かと格闘中の方には特にオススメ。
こちらも実践あるのみ。
『神の探求』とともにぜひ人生に活かしてみてください。