ようやくサヨナラしたものと、再び出逢ったもの
2016年 01月 22日
母が倒れ、父が倒れで10年前にはすでに廃業届けを出していたのに、これを処分してしまうと、両親が生きてきた軌跡や築きあげてきた信頼までも消えてしまいそうで、最後に母がつけていた帳簿類や日記類だけは1冊ずつ残してコンテナボックスで保存していました。
うちは自営だったので、実家には母の仕事机と、書類を納める大きなキャビネットがありました。母は、税金申告初日には、青色申告の書類を出しにいき、しかも税務署の職員さんに「いつもキレイに書かれていますよねー」と褒められるほどきちんと帳簿類を書いてました。でも、自分の癌が分かり、父も倒れて動けなくなったあと、母は当時入院していた横浜の病院からいったん広島の自宅に戻り、仕事の廃業届けを出し、書類を全て庭で焼いて戻ってきました。
残務処理や何かのときのために、横浜に、最後の1年分の帳簿類は移していたんですが、両親亡きあと、私にはそれらが捨てられなくて・・・。母は潔く、自分たちの記録を消して帰って来たのに、娘の私にはそれができなかったんですよねー。
でも、やはりクローゼットの一角のスペースを取っているし、10年以上経っているしで、もうそろそろ、サヨナラしようかなと。目に見える書類は消えても、心の中にはしっかり思い出は残っているわけで、なにより、私たちの存在そのものが両親が生きた証しですしね。
がっしり大きな昔の帳簿類を紙ゴミ、金属ゴミ、燃やすゴミに分け、コンテナボックスを畳んだら、その一角に大きなスペースが出来ました。
まだウチには母が最後に漬けた「梅干し」一瓶と、最後に編んでくれたカーディガンが残っています。きっとこれらは何度引っ越しても、私と一緒。
こうやって、少しずつ自宅は今の私仕様になっていくんですねー。
そして・・・
コンテナボックスで見つけた30年前のわたし。妹が私に内緒で応募してなってしまった読者モデル。この雑誌もとっくに廃刊になってます。こんなこともあったなーと、しばし片づけの手が止まりました。
宇宙から来た人だぁ~(笑)
今日のお話は、胸がきゅんとしました。
あたたかい「きゅん」です…。
目に見えるものはいつか失われていくけれど、
目に見えない「永遠」が、ありますね。
1985年ですから、遙か昔ですー。