ふれる、ということ
2016年 01月 19日
曰く「先日、風邪で高熱を出して寝込んでいたとき、母親に身体を撫でてもらったらとても安心した」とか「手術を受けたあと、人に触れてもらいたかったから、見舞いに来た家族に手を握ってもらっていた」とか・・・。
別の友人は、イトコが大きな手術をすることになって、術後、付き添っていたら、普段はシニカルでクールな態度のイトコが布団の下から手を伸ばしてきて、自分の手をギュッと握ってきたのでビックリしたことがあったそう。
以前、パワーオブタッチという本をご紹介したことがありますが(こちらのブログ参照)、
私が伝えたいのは「ふれることは愛すること」です。あなたの周りをよく見てください。ふれるということがあまりないことに気づくはずです。あったとしても、限られた行為が、限られた人に、限られた程度に行われているだけでしょう。
(中略)
人を愛する過程では、ふれることが自然で健康なのです。心の健康にも身体の健康にも必要なのです。そうして自尊心が育まれると研究者は考えています。何かの理由で人を愛することもふれることもやめてしまったら、他人の健康だけでなく、自分の健康も害しはじめます。
特に健康を害してしまったときには、なおさら、人と人との触れあいが大事なんですね。別にお喋りしなくても、そばに誰かいて、言葉じゃなく、手をギュッとしてもらえるだけで、言葉以上に伝わる何かがあります。
なぜ、これをあらためて書いているかというと、テンプルでお客さまとお話していると、体調を崩して会社を辞め自宅療養をしている、という方のなかで、完全に社会から自分を切り離して、自宅に籠もりっぱなしになっている方が何人もいらしたからなんです。
お一人の方は、それまでの友人知人とも縁を切り、会社で仕事はしていても、友人を持たないようにしていた、という方でした。何が過去にあったのか分かりませんが、そういう生活を東京で数年続けたとき癌になってしまった。そして、ご自身が癌になって、ふと周りをみると、誰も頼る人がいない、心を打ち解けて話す人がいない…。癌によいという食事療法を自分なりに実践されていらっしゃいましたが、何のために元気になりたいのか、元気になる気力も理由もない、という状況で、私自身、お話しするのがとても辛かったです。
人と離れて過ごす時期があってもいいと思います。人間関係に疲れてしまったとき、心が元気になるまで、じっとして自分を癒す時間を作ってもいいと思います。でも、誰かの心と触れあうことで癒されたり元気になる何かもあるわけで、バッサリと人とのご縁を切ってしまっては、食事で体に栄養は与えられても、心や魂に必要な栄養が足りなくなってしまいます。
先日、あるビジネス系の本を読んでいたら、ある心理実験で、何か話しているとき、ほんの一瞬でも、相手の腕に触れることができたら、その相手の人は、自分のことに好感を持ちやすい、信頼をされやすい、ということが分かったと書かれていました。
人は、ほんの一瞬、腕が触れあっただけで、心が通じ合った気がするんですから、心が弱ってしまったときこそ、人は人を必要としているのかもしれませんね。
柴田久美子さんのインタビューでは、柴田さんは抱きしめて人を看取ることを提唱されていらっしゃいます。
私は、両親をすでに亡くしているので、もっと早くこのことを知っていたらな、と少し残念ですが、看護や看取りをされている方がいらしたら、ぜひ、ふれて、抱きしめてあげてください。