毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

パワー・オブ・タッチ
10年近く本棚に入れたまま、ずっと読まずにいた1冊。今週、ようやく手にとりました。

三砂ちづるさんが書かれた本だと思ってましたが、翻訳本でした(著者より翻訳者が目立つ装丁デザインは、かなり残念)。すでに版元で品切れで、この本の入手は中古か図書館で見つけていただきたいのですが、三砂さんが書かれた『抱きしめられたかったあなたへ』が、同内容かと思います。

この本は、「人とふれること」「ふれあうこと」がいかに人間にとって大切なことなのかが解説されたものです。ふれることは、酸素や水、食事や排泄、睡眠や休息と同じくらいに必要な「生存ための基本的ニーズ」である、犬や猫は簡単に手に入れているものを人は手に入れていない、とも書かれています。

動物は常にお互いを触れあっています。自分の子どもがケガをすると親である動物は子どもを舐めたりさすったりします。でも人間は、自分の子どもがケガをすると「泣くんじゃないの!」と怒られ、絆創膏を貼られて終わり。そうやって、私たち人間は大人になっていくのです・・・。

私はまずこの本が、アメリカ人によって書かれていたことに驚きました。日本と違って、ふれることを十分満たしている文化じゃないの?と思ってました。

欧米の人たちは、日本人に比べ遙かにハグをします。親子、友だち、知人に対し、軽くであっても、会えば常にハグをしたり、頬にキスをしたりしているように思います。映画でもドラマの場面でもそうですし、実際、何度か遊びに行ったバージニアビーチやアリゾナ、テキサスでは、人は出逢うとき、別れるときは、ハグは必須、でしたし・・・。
*巨体のアメリカ人にハグをされると私はその身体に埋もれてしまうので、ハグが嫌で逃げ回ってしまうくらい、滞在先ではハグは日常でした。が、考えたら、ケイシー関係の人やローフード施設といった場所が私の主な滞在先です。フツーのアメリカ人家庭はそんなことはないのでしょうか? よく分かりません・・・

いずれにしても、そんなアメリカ人が「ふれあいやふれあうこと」を不足と感じているなら、日本人は、いったい、どうしたらいいのですかー!と絶望的な気持ちになってしまうほど少ない、ふれあいレベル。この1週間、誰か人と肉体的に接触したのは、満員電車の中で知らない人とだけ、それも嫌々という有り様の人、多いんじゃないでしょうか?

赤ちゃんの場合、栄養は十分でも、人とふれあうことができなければ死んでしまうくらいに大切な「さわってもらうことや抱きしめてもらうこと」。

この本は大切なメッセージがてんこ盛りでした。

なお、この本でテーマになっていることは、性的なふれあいではない、でも、心のこもったふれあいです(性的なふれあいについて書かれた章も、もちろんありますが)。思春期あたりから、人にふれること、特に異性にふれることは、=性的なこと だと思い込んでしまうのは残念なことです。

この本に『言葉では5分もかかるのに、ふれれば5秒で愛情が伝わります。嫌なことばかりあって落ち込んでいる人には、あれこれ励ましの言葉をかけてあげるより、抱きしめてあげるほうがずっと慰めになります。暖かく身体を抱いて迎えてあげれば、それは「あなたに会えてとっても嬉しい」という意味です』と書かれてましたが、まさにそう。

夫婦や恋人同士であれば、なおさら。
最近日本では、寝室を一緒にしないだけじゃなく、全く肉体的にふれあわない夫婦も増えてますよね。そういう夫婦は、喧嘩したとき、いったいどうやって仲直りするんだろう?と私は常々思っているんですが、ふれあったり抱き合ったりしない仲直りって、仲直りしたようで、互いの心の奥底では寂しさが積み上がっている気が私はします。


親子でもふれあいは大事。
そういえば、母の病気が見つかったあと、私は当時1ルームの部屋に住んでましたが、東京の大学病院に通院してもらうために、その1ルームの部屋で母と一緒に暮らし始めました。元気だけが取り得だったのに手術の後はずいぶんと弱ってしまって母と出かけるときには母の腕を組んで支えるように買い物に行ったりゴハンを食べに行ってました。私はそれを何気ない行為としてやっていたんですが、母はそれがとても嬉しかったようで、母の姉たちから電話があると「今日、なおちゃんが腕を組んでくれて一緒に**に行った」「**にゴハンを食べにいった」とよく話してました。一緒にどこかに行った、というだけじゃなく、娘と腕を組んで歩いたこと、娘に肉体的に支えられていたことが母にとっては嬉しかったんだなーと、あらためて、この本を読みながら思い返してました。


第1章(ラビング・タッチ 「ふれる」という愛)から、「ふれるということ」について著者が述べている言葉をいくつかご紹介します。
私が伝えたいのは「ふれることは愛すること」です。あなたの周りをよく見てください。ふれるということがあまりないことに気づくはずです。あったとしても、限られた行為が、限られた人に、限られた程度に行われているだけでしょう。

人と人との関係において、私たちは優しく、暖かくふれることで愛情を表現します。ふつう相手を肯定したり、励ましたり、応援したりする言葉で愛情を表現しますが、一番強い愛情を感じるのは愛情をもって身体にふれられたときです。私たちは心の奥底ではふれられたいと思っているのです。

誰かに抱きしめられたりなでられたりすると、相手が自分のことをどう思っているかわかります。本心を隠すことは容易ではありません。言葉を使えば、話をぼかしたり、あいまいに言ったり、あることを話しているように見えて実はまったく別のことを言うこともできます。「ふれるということ」はそうはいきません。「ふれるということ」は心に直接語りかけます。

人を愛する過程では、ふれることが自然で健康なのです。心の健康にも身体の健康にも必要なのです。そうして自尊心が育まれると研究者は考えています。何かの理由で人を愛することもふれることもやめてしまったら、他人の健康だけでなく、自分の健康も害しはじめます。


私たちに足りないビタミンT(タッチすること/ふれあうこと)。
子どもはもっと、そして生まれたばかりの赤ちゃんや乳幼児はもっと必要としています。子どもがいかにふれることを必要としているか、については、またあらためてご紹介したいと思います。





by hiroshimapop | 2015-11-14 12:06 | おススメBOOKS | Comments(1)
Commented at 2015-11-14 22:18 x
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