毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

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バウさんの仕事のすすめ方
1月に亡くなられた山田バウさんの右腕として、最後まで一緒にプロジェクトを推進されていた吉澤武彦さんのメルマガに、バウさんの仕事の取り組みのいったんをが紹介されていました。私自身の覚え書きをかねて、下記に貼り付けさせていただきます。

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【日本カーシェリング協会メールニュースvol.16】2015年3月8日
             ◆バウさん◆
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前回の発信で、新年のご挨拶をさせていただいた際、私の師であるバウさん(元・神戸元気村代表 山田和尚氏)の言葉で結びました。

発信した2日後の1月5日、バウさんは亡くなりました。

バウさんは、私にカーシェアリングを提案してくださった方です。
その提案がなければ、今のこの活動はありません。

今回は、番外編として、私達の活動に関わるバウさんのエピソードを少しご紹介したいと思います。


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震災からちょうど一カ月がたった2011年4月上旬頃。
福島県に入り、様々なプロジェクトに取り組んでいた私に一本の電話がかかってきました。

「おぉ、タケちゃん、ちょっと提案したいことがあるから、福島の帰りに東京に寄ってくれへんか?」


数日後、東京タワーの1Fでバウさんから次のような話を受けました。

「今、避難所にいらっしゃる方々がやがて仮設住宅に移る。そして行政の主導で自治会が形成されて、自治会長が選出される。支援団体はその自治会長にいろんな支援を提案していくことになるんだけど、そこでカーシェアリングを提案する準備を今からしていったらどうや?」

そして、

「個人が所有するってことをそういう所から文化ごと変えていくような、そういう取組をやっていくということなんだわ。」

更に

「あっ、そうそう。昨日、Googleで検索しても、 『日本カーシェアリング協会』ってのをどっこも使って
 なかったから、それ、プロジェクト名にどうや?」

最後に

「タケちゃん、どう思う?」

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そうやって、日本カーシェアリング協会の活動は始まりました。

それから2,3週間経ってから、カーシェアリングの取り組みについてバウさんと話す機会がありました。

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「カーシェアリングの状況はどうや?」

その当時、私は企業回りをしながら車集めをやっていた頃だったのですが、一件もよい反応を得ることができず、私は呼びかける対象を企業ではなく個人に変える作戦を伝えました。

それを聞いて、少しため息のようなものをついて、一呼吸した後

「何件くらい周った?」

「20件位です。」

「そうか・・・、で、お前は今まで何か1つでもやり抜いたことがあるか?」

その一言で、話は終わりました。

オゾン層保護活動の際、3年間で約1300の自治体を一人で周ってフロンガス回収システムの基礎を築き上げていったバウさんのその言葉の重みは、今でも忘れられません。

バウさんの『やり抜く』ということがどういうことか、以下のブログを読んでいただけると私の感じた言葉の重みを理解していただけると思います。この文章を読む度に私なんて、本当にあまちゃんだと、今でも思えてしょうがありません。

【バウの道中記:108つの祈り・前、108つの祈り・後】
http://www.peace2001.org/2006/main/bow/20080929_bow_01.html
http://www.peace2001.org/2006/main/bow/20081005_bow_01.html


結局その後、更に企業回りを続け、50件位周った頃に最初に届ける1台目の車を確保することができたのでした。

話が終わった後、バウさんは私に不思議な一言をおっしゃっいました。

「タケちゃんは、もしかしたら車に縁があるかもしれんなぁ。」

その当時は、まだ車をまともに運転もできず、車集めも上手くいかずこの状態をどっからどう見たら縁があるように見えるのだろうと不思議に思いました。

しかし、本当の縁というのは、上手くいかないこと、失敗し続けることにこそあるものだという、人生の奥深さをバウさんは言っていたのではと今は思います。

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最後に、1つ曲を紹介します。

「東日本大震災でもたくさんの音が生まれて色々聞いてきたけど、 これが一番やとワシは思う。ちょっと聞いてみてくれへんか。」

1年半位前、ドトールコーヒーでお茶してた時、そうやって聞かせてくれた曲です。

震災からまる4年を迎えようとしている被災地を想いながらぜひ聞いてみてください。
夏の歌なのですが、3.11にこそ静かに花火を上げてこの曲を聴いた方がいいと思うと言ってました。

「生き続けることは、時々難しいよなぁ~。」

って笑いながら語ってくれたのを、昨日のことのように思い出しながら。。。


【Light Up Nippon 空に花、大地に花 】


あぁ 忘れられない思い出や
悲しみや別れがあったとして
でも 上を向いて時間をかけて
笑おうとすることを
誰が無意味だと
それが無理だと決めつけた?

踏まれても咲く花がここにあるのに
空を見上げよう 皆で
今年も夜空に夏の花、咲いた
君の笑顔を照らすのは
決して諦めなかった誰かの勇気

そう 生きることは
生き続けることは時々、難しい
でも 上を向いて
涙を拭いて立ち上がっていくことを
誰が無意味だと
それが無理だと決めつけた?

踏まれても咲く花がたくさんあるのに
忘れられないと嘆くより
忘れない強さを誇りに笑おう
君の笑顔を照らすのは
大丈夫、大丈夫って歌う 花火の音色
想いは繋がってく 小さな蕾が
悲しみの果てに ほら、開いていくよ

ねぇ君に笑っていて欲しい
花のように 強く強く
空を見上げ 流れ落ちる
涙よ届けと 夏の花、咲かそう
君の笑顔を照らすのは
決して諦めなかった誰かの勇気
忘れられないと嘆くより
忘れない強さを誇りに笑おう
君の笑顔を照らすのは
大丈夫、大丈夫って歌う 
あの夏の花火の
この夏の花火の
見上げてるみんなの
繋がった想い


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 ◆編集後記
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バウさんから預かった最後のプロジェクトとして
バウさんの49日にあたる2月22日に小さな本を出版しました。

最後にバウさんが伝えたかったこと、
カーシェアリングや被災地の取り組みとは毛色は違いますが、サンプルだけでも、もしよかったら読んでみてください。

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経緯についてはコチラ
by hiroshimapop | 2015-03-10 15:58 | 日記 | Comments(0)