田口ランディさん
2015年 01月 13日
亡くなる直前まで普段どおりの生活をし、朝食を食べ、週3回行っていた透析に向かうために早朝、玄関を出たところで倒れたそうで、救急車が到着したときには、もう息は無かったとのこと。
玄関の内側ではなく外で倒れたのですぐに他の方に発見していただけたし、そして、特に苦しむこともなく、いつもの穏やかで静かな顔のままで逝かれていました。まだ63歳という若さではありますが、もう10年透析をしていた身体ですから、大往生でした。
ヘビースモーカーでジャンクフードが大好きで、透析しながらマックに行くのを楽しみにしているようなバウさんだったので、私としては『もっと食べるものに気をつけてほしい』と思ってましたが、健康になるために何かをしたり生活を変える、という気はサラサラない人でしたから、私としてはひたすら気力が続くことを祈ってました。
さて、バウさん最後のミッションが伝えられたのは昨年末の28日。
3.11のあと、東北支援のために石巻に移住した吉澤武彦さんのもとに、バウさんから1本の電話がかかってきました。
『自分が死んだら葬式はせず、そのかわり、あらためてお別れの会をしてほしい。そして自分の死をきっかけにしてチベット死者の書をもっと多くの人に知って欲しい』と。
そんなこともあり、バウさんと会ったあと、バウさんのお別れの会をどうしようと近くのファミレスに行って打ち合わせが始まったわけですが、もう20年以上、フロンガス問題、神戸の震災、福井の重油流出事故、広島の原爆の火、そしてもちろんカヌーの普及など様々な活動に関わってきた方なので、バウさんの関係者を拾い上げると膨大な数になってしまいます。
その中でもまだ密に親しくしている方、多少は交流はある方、過去深い関係を築いていた方等々、とりあえず、バウさんの死をお伝えする人リストを作ろう、ということになりました。
その中には、ヒロシマでの活動を通じて親しくされていた作家の田口ランディさんのお名前もありました。
以前、私は屋久島旅行前にバウさんからランディさんと連絡取るといいよとメールアドレスを教えてもらっていましたが、それも数年前のこと。もうアドレス保存してないしなーと、ランディさんの横は、誰が連絡が取れるか空欄のまま解散。
その後、私は吉澤さんと『チベット死者の書』について聞きに新宿のチベットハウス、バウさんのお別れ会会場となるホテルに下見に行ったわけですが・・・
ホテルのロビーに座り、宴会担当者と話しはじめて数分後・・・
あれれ? あの顔には見覚えがある・・・?
まさか・・・・?
なんと、数時間前に連絡先が分からないねーと言っていた作家の田口ランディさんが、私達のお隣のソファに・・・!
みつだ:もしかして作家の田口ランディさんですか?
ランディさん:はい
みつだ:突然ですみません。山田バウさん、ご存じですよね。実はバウさんが昨日の朝、亡くなられて、私達、バウさんのお別れ会をこのホテルでしようと、いまその打ち合わせに来たところなんです・・。
ランディさん:ええ~?!
という、小説に書いたら、あまりに出来すぎの偶然。
チベットハウスに行くとき、1つ先の駅で降りてしまってちょっと長く歩いたことも、宴会会場を先に見せてもらっていたことも、全てランディさんに出会うための時間調整だったのかしら?と思うくらいの偶然の出会い。
そんな経緯で、ランディさんにバウさんの訃報を伝えることができました。
しかもランディさん、バウさんが最後に伝えたいと言っていた『チベット死者の書』についても詳しく、もし、自分でお役にたつことがあるならと、チベット死者の書についてお話して下さり、また数日後には、バウさんがあの本を通して伝えたかったことはきっとこれだと思うと、作家ならではの視点で、チベット死者の書にどのように関わればいいのかも詳しく解説したレポートを書いて送って下さいました。
もちろん、バウさんのお別れ会にもご参加下さるとのこと。
『バウさん、さっそく、最適の方を私達に遣わして下さいましたね』と、すでにあちらの世界からバウさんが働いて下さっていることを実感。
バウさんのお別れ会は、バウさんの49日の1日前にやることに。
バウさんが大好きだった方々と壮大にバウさんを送りたいと思います。
*ランディさんの小説、読んだことがない方は、ぜひデビュー作『コンセント』を。衝撃的な内容で、しかもランディさんが体験されたご家族との実体験がベースになっています。他にも目に見えない世界のことを題材にしたエッセイや小説も多数。どの本を手にとっても面白いです。