毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

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飛鳥の記憶イベント報告
先週末に開催した奈良、明日香村での『飛鳥の記憶』イベント。テーマはボーダレス。それは飛鳥の人々と韓国、中国とのボーダレスであり、見えない世界、宇宙とのボーダレスだったわけですが、多少なりともそのボーダレスを実感できた2日間になったのではないでしょうか?

そして私にとっては、ともかくも週末、台風が関西を通過しなくて良かった。
台風18号が発生し、日本横断をしそうだとの情報を聞いてからは、期間中、台風の影響を受けないことはもとより、参加者の皆さんが自宅に戻るまで電車や新幹線が問題なく動き、一人残らずちゃんと帰宅できることだけを祈り続けておりました。。。イベントの中身より、こっちにエネルギー使ってたかもしれないくらい。。。

九州の知り合いに頼んで、阿蘇の某所にあるという風を司る岩に祈ってもらったり、私自身もその岩に意識を向けて祈ったり・・・。

もともと明日香村は、昔から大きな天災から守られている土地柄らしく、台風直撃ということはめったに起きないそうなのですが、私たちが遺跡巡りをしているときにも、雨雲がすぐ近くの山まで来ているのに明日香村には雨が降らなかったり、一瞬、土砂降り雨が降ったときにも、運よく参加者は建物の中にいたときだったりと、いつ雨が落ちてくるか分からない灰色の雲が続きながらも、一度も濡れることなく終了・・・!

天気の神様ありがとうございました・・・!

明日香村は21世紀の今もなお、古代の伊吹を感じる場所。日本が国として成立し始めた頃からの遺跡があちらこちらに点在しているだけではなく、私が泊まった民宿の方が、代々、天武、持統天皇の御陵を護っていた家系だったりと、古代からの歴史が人々の暮らしの中にまだちゃんと存在しているところ。

サイキックお二人(*一人は都合により欠席)とのコラボもあり、見えない世界系の話もとても面白かったんですが、個人的に、オー!と思ったのは、韓国の方々、渡来系の方々の方位のこだわり。

これは京都の高麗美術館の理事でもある鄭喜斗さんが実際に現地に行って検証されてきたことなのですが。。。。

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平塚にある高麗山と埼玉県の高麗神社が南北ピッタリ。 なぜに・・・?

私の薄い記憶をたどって書くと間違えそうなので、鄭さんのフェイスブックの書き込みをそのまま拝借してしまうと・・・・

~以下、引用~
、、、、、、東経が、、、、、ジャスト!
写真はウィキペディアの緯度だが、実際に行って誤差をiPhoneで測った。
高麗山の境内は誤差があるが、頂上の拝殿は西へ15メーターほど移動している。
東経139度19分、、、、、なんの意味があるのか。
と言うより、なぜ真北に移動できたのか。
埼玉の日高市の高麗村、、、、ここを中心に白髭神社の分布は異常で、高句麗の移民はこの地域に霊峰、白頭山信仰の祠を築いた。

続日本紀に、元正天皇の716年「以駿河甲斐相摸上総下総常陸下野七國高麗人千七百九十九人 遷于武藏國始置高麗郡焉」

東国の7つの国から1799人を集めて、高麗郡を設置するという意味です。
668年高句麗が滅亡し多くの人々が海を渡り日本にやってきました。高句麗からの渡来人の多くは、最初都の近くに住みましたが、奈良の政権は彼らの処遇を持て余すようになり、東国への移住政策を進めました。

彼らは太平洋側に高麗山を目指し大磯に上陸。オオイソ、、、よく来た!のハングルから大磯に。
その山を高麗山と呼んで高来神社を祭り、、、、しかしその地は、、、宿敵、、、秦氏の先住の土地だった、、、、、秦野氏、、、、新羅から一族。今の秦野だ。
彼らは北上していまの高麗川にたどり着く。
もともと神奈川は韓川、、、から来ているし、金目川のカナメ川もここから来ている。それにしても、、、、、東経139度19分、、、、
なぜ彼らはこの東経にこだわったのか。

彼らはやむなくその地を後にし武蔵国に移住。その地から真南に拝んだ。
確認したのはその頂上の緯度と墓所跡が無いか、、、、。
高麗山の頂上に祭壇の後が見られたが確かではない。
しかし高麗山ふもとの大磯側に径35~40mで築造は7世紀末~8世紀初めの円墳がある。釜口古墳だ。切石積みの高句麗形式。自然石や割石でなく、美しく整形した切石を積んだ横穴式石室は神奈川では二ヶ所だけだ。

そして切石場横穴墓群がある。11基の古墳時代後期で高麗山の麓だ。
アーチ形は高句麗の持ち送り型石室の典型だこれらはここに上陸した高句麗の遺民の墓に違いない。
南北の高麗の地の丁度真ん中に、、、拝島、、、、この位置も真北で、ここから高麗山の方角に拝した。
ところで、どうやって測量したか、、、、星座観測。
かれらの方位術は凄い。


韓国から日本にやってきて、平塚の海のそばに住み始めた方々が、時の政府からその土地は近くに秦氏一族がいるから離れるようにと追い出され、北に移り住むことになったとき、彼らが移住先に選んだ土地は、平塚と同じ東経139度19分・・・。

韓国の方々は、方位をとても大切にされるそうですが、この139度19分の行きつく先に、果たして何かがあるのか、それとも先に住んだ高麗山に敬意を表し祈るためだったのか・・・・?

この一致、興味深いです。
by hiroshimapop | 2014-10-09 23:38 | 日本の聖地巡り | Comments(0)