毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

死を子どもにどう伝えたらいいのか
この週末は柴田久美子さんの看取り学に参加していました。 

柴田さんのお話の中で、こんなエピソードをお話下さいました。

ある学校で柴田さんが講演をされたとき、300人近い聴講者がいたなか、いつもは大人しい男の子が真っ先に手をあげ、「命が大切って言っているけど、うちのお祖父ちゃんは病院に捨てられたよ」と発言したそうなんです。柴田さんはその言葉にとても驚いて「大切なことだから、ご両親とお話したあとでお返事しますね」と、あらためてご両親に事情を聞かれました。

ご両親によると、そのお祖父さんは急に体調が悪くなって救急車で搬送され、ICUに入ったままそこで亡くなられたとのこと。大人の自分でも苦しそうに見えるお祖父さんの姿を見るのは辛く、とても子どもには見せられないと、男の子を病院に連れていくことはせず、彼はは遺体となったお祖父さんと葬儀場で対面することになったのです。それを彼は『両親はお祖父ちゃんを病院に捨てた』と感じていたのでした。


このお話を聴きながら、私は青木新門さんが書かれた『それからの納棺夫日記』の一文を思い出していました。神戸の「酒鬼薔薇聖斗」と名乗って凶悪な事件を起こした当時14歳の少年についての一節です。

~以下『それからの納棺夫日記』からの引用~
調査官に「君はなぜ人を殺そうと思ったのか」と聞かれ少年は次のように答えている(文藝春秋1998年3月特別号)。

『何故、僕が人の死に対して、この様に興味を持ったかということについて話しますが、僕自身、家族のことは、別になんとも思っていないものの、僕にとってお祖母ちゃんだけは大事な存在でした。
ところが僕が小学校の頃に、そのお祖母ちゃんが死んでしまったのです。
僕からお祖母ちゃんを奪い取ったものは

というものであり、僕にとって、死とは一体何なのかという疑問が沸いてきたのです。
そのため、「死とは何か」ということをどうしても知りたくなり、別の機会で話したように、最初は、ナメクジやカエルを殺したり、その後は猫を殺したりしていたものの、猫を殺すのに飽きて、中学校に入った頃からは、人間の死に興味が出てきて、人間はどうやったら死ぬのか、死んでいく様子はどうなのか、殺している時の気持ちはどうなのか、といったことを頭のなかで妄想するようになっていったのです』

少年の供述である。これがあの事件の根っこにある動機だとしたら、大人社会が死を隠蔽し、死の現場を少年たちに見せることもしないばかりか、死についての話を語ることもしないで、すなわち悲しみや苦しみをさせまい、与えまいと育ててきたことに原因があるように思えてくる。子どもの起こす事件のほとんどは大人社会の反映なのである。



最近も長崎で高校1年生の女の子が同級生を殺害して解剖したという事件がありました。私は新聞もテレビも見ないので、この事件についてはインターネットの記事や電車にかかる週刊誌の見出し程度しか知らないのですが、確かこの女の子は前年に母親を癌で亡くしているんですよね。

この事件、神戸の事件と重なるところはないでしょうか?

この女の子の場合、もっと早い段階で動物を殺したり、暴力を振るったりしていたということですから、もともと凶暴な芽のようなものを魂に持っていた女の子だったのかもしれません。でももしかしたら、彼女を守っていたお母さんの死だけではなく、彼女に愛情を注いでいたであろう祖父母など身近な方の死を早い時期に経験して、命についての根源的な悩みを抱えていたのではないか、そんな風に思ったりします。

自分の愛するものを奪った死とは何か、命とは何なんのか、それを彼女は探そうとしていたのではないか・・・? 動物の中の命を見つけようと動物の身体を解剖しているうちに、いつからか、そのこと自体が目的となり、殺すことが快になってしまったのではないか・・・?

だから彼女が幼い段階で死についてのことを隠さず、命ってなんなのかを本気で大人が伝えていたなら、こんな凶暴な犯罪は犯さずに済んだのではないか・・・。

彼女が殺めた命はもう元には戻せませんが、もし、死が日常生活の中から隠されてしまったことが事件の根底にあるなら、死について命について、ちゃんと大人が子どもに伝えることで、第三、第四の殺人事件は、防ぐことができるようにも思います。



実は新門さんの本には続きがあります。新門さんが九州の住職さんにもらった冊子に、祖父の臨終の場に立ち会ったという14歳の少年の手記が載っていました。


『ぼくはおじいちゃんからいろいろなことを教えてもらいました。特に大切なことを教えてもらったのは亡くなる前の3日間でした。今まで、テレビなどで人が死ぬと、周りの人が泣いているのを見て、何でそこまで悲しいのだろうかと思っていました。しかしいざ自分のおじいちゃんが亡くなろうとしているところに側にいて、ぼくはとてもさびしく、悲しく、つらくて涙が止まりませんでした。その時、おじいちゃんはぼくに人の命の重さ、尊さを教えて下さったような気がしました。(中略)

最後に、どうしても忘れられないことがあります。それはおじいちゃんの顔です。遺体の笑顔です。とてもおおらかな笑顔でした。いつまでもぼくを見守ってくれることを約束して下さっているような笑顔でした。おじいちゃん、ありがとうございました』

私がこの二人の14歳の少年を取り上げたのは、二人に根本的な立場の違いがあることを言いたかったからである。根本的と言っても実に単純な違いである。九州の少年は祖父の臨終の場に立ち会っていたということ。神戸の少年は祖母の死に立ち会っていなかったという違い。立ち会った少年は死を五感で認識しているのに対して、立ち会わなかった少年は死を頭(観念)で考えているということである。

~引用終わり~



柴田さんも子どもが死に立ち会うことの大切さをお話されていました。
病院で苦しんでいるときも一緒になって身体をさする。お祖父ちゃん、お祖母ちゃんはこんなに頑張っているんだよ、とその姿を通じて生きることを子どもに伝える。死に行く姿、温かかった身体が冷たくなっていくその身体に触らせて、死とは何か、生きるとはどういうことかを五感で伝える。

私は田舎では珍しく核家族の家で育ったために身近な祖父母の死を知りません。母方の祖父母は私が生まれる前に亡くなっていましたし、父方の祖父母は家を離れ横浜で亡くなりました。なので私が知る死はいつも近所の方の死でした。元気だったお婆さんがだんだん弱ってきて、見かけなくなったなと思ったら喪中の張り紙が玄関に貼ってあったとか、近所で長く寝たきりだったおじいさんも、ある日、そのお宅の前を通り過ぎたら、顔の上に白い布がかけてあり、数日後には、いつも布団の敷いてあったその部屋は空っぽになっていた・・・。そんな感じで命の循環を感じていました。

当時の田舎はだいたい3人兄弟というのが普通でしたので、死も身近にありましたが、誕生も身近にありました。友達の家に遊びに行ったら、いつもいたおじいさんの姿がなくて仏壇に花が供えられていた。学校の友達に妹や弟が生まれた・・・。そんなことが日常の暮らしの中に普通にあった気がします。


柴田さんは、人の人生の最期のときを、病院ではなく、家族の中に取り戻そうと活動をされていらっしゃいます。死ぬことと生まれること。これが私達の暮らしの営みから消え、病院に入院して誰かにやってもらうものになってしまったのはいつからでしょう。

そのときから誕生も死も怖いものになってしまった気がします。特に死は悪いもの、子どもからは隠さなければならないものになっていきました。大人でさえ、今はちゃんと人の死に立ち会ってないんですから、なおさら、子どもには見せられない。そんなふうになってしまいました。


これから出生率はどんどん低く、そして高齢者の比率はどんどん増え続けていきます。親の死、身近な人の死、そして看取りは誰もが通過する順送りの道。どのように家族をおくりたいか考えたことがない方も、チャンスがあればぜひ柴田さんのお話、聞いてみてくださいね。本も何冊も書かれています。

柴田さんの看取り学や内観の講座スケジュールはこちらでご確認下さい。




by hiroshimapop | 2014-08-25 18:45 | おススメBOOKS | Comments(0)