毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

ピタハンとキリスト教
本棚の本プレゼント、さっそくのお申込ありがとうございます。
合計29名の方からご応募をいただきました(ブログのコメント欄だけではなく、フツーのメールあてにもお申込が入っていました)。肝心のメールアドレスが書かれてなくて、せっかく早くに応募下さっていたのに結局はお送り出来なかった方が3名。結果、そのうっかりのおかげで、後からのご応募なのに順番が廻ったラッキーな方が3名、おめでとうございます!

今回、お送りできなかった方ごめんなさい。
時々やっていますので、次回めげずにご応募下さいね。


今回、プレゼント本に選んだ本の中に、『ピダハン』というアマゾン奥地に住む少数民族が話す言語世界についてまとめた本をいれました。

本の紹介はWEBに掲載されていた下記の文章におまかせすることにして・・・
本書はピダハンの言語とユニークな認知世界を描きだす科学ノンフィクション。それを三〇年がかりで調べた著者自身の奮闘ぶりも交え、ユーモアたっぷりに語られる。驚きあり笑いありで読み進むうち、私たち自身に巣食う西欧的な普遍幻想が根底から崩れはじめる。

とにかく驚きは言語だけではないのだ。
ピダハンの文化には右/左の概念や、数の概念、色の名前さえも存在しない。神も、創世神話もない。この文化が何百年にもわたって文明の影響に抵抗できた理由、そしてピダハンの生活と言語の特徴すべての源でもある、彼らの堅固な哲学とは……?

著者はもともと福音派の献身的な伝道師としてピダハンの村に赴いた。それがピダハンの世界観に衝撃を受け、逆に無神論へと導かれてしまう。ピダハンを知ってから言語学者としても主流のアプローチとは袂を分かち、本書でも普遍文法への批判を正面から展開している。


私が驚いたのは、たった400名弱しか住んでいないアマゾン奥地の人たちにキリスト教を布教するために伝道師一家が派遣されている、ということ。その特異な言語体系から、辞書も通訳もないため、キリスト教を布教するためには、そこに派遣される伝道師がまず、そこの地域の言語を学び、人々との交流を深める必要があります。・・・となると、布教は数年がかり、十数年がかり。あるいはもっと。

私からみると、世界にキリスト教を全くしらない人たちが400人くらいいてもいいじゃないのと思いますが、キリスト教世界では、そうは思われないんですね。

イタリアに行ったときにも、バチカンに行ったときにも、その馬鹿でかさと絢爛豪華さに、芸術の美しさよりも、キリスト教ってお金があるのね~という印象が記憶にインプットされてしまいましたが、世界各国の少数民族にキリスト教を布教できる財源とその思想を想像したら、かなり怖いです。

実は、このとき伝道師として派遣され、このピタハンの本を書いた著者はピタハンの人たちと暮らすうちに無神論者になります。キリスト教を布教するハズが、反対に神を信じなくても生きていける人に。

イエス・キリストが着ていたものは質素な一枚布。
ケイシーはリーディング中、最後の晩餐に繰り広げられていた場面と遭遇し、こう中継しています。『主の衣は白ではない。真珠の灰色で、1つに縫い上げられている』

豪奢な教会で、豪華な衣装を着て福音を述べている人たちには、ピタハンの人たちが求めている幸せならしは決して見えていない気がするのですが。

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by hiroshimapop | 2013-11-12 16:28 | おススメBOOKS | Comments(1)
Commented at 2013-11-14 08:56 x
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