輪廻転生の視点を入れると
2012年 11月 13日
誰もが自宅にいながら世界中の出来事を知ることができ、またパスポートとチケットさえ持っていけば、簡単に海外に旅行したり住んだりしているご時世、新聞やテレビでは世界のニュースは少ないとはいえ、日本のことだけしか知らないという人はほとんどいません。チェルノブイリや福島原発のその後の状況をみれば、1度、原発事故のような事故が起こってしまえば、民族や国を超え、地球全体を巻き込む大災害になってしまいます。
地球や世界がどんどん狭くなっているいま、もはや自分の国のことだけ考える、自国の利益やメンツで物事を推し進めていけば、日本は世界から孤立を深めていってしまいます。
反対に、日本は神話の時代から脈々と続く皇室を拝した特別な国である。他の国のロイヤルファミリーと違い、経済活動ではなく、国民の幸福を祈ることを使命とされている現人神を中心に、今なお太古からの神々が守護する希有な国である。日本は世界のひな形として大きな役割を持っており、日本に起こることは世界に起こる特別な地なのだ、という声も聞こえます。
先日、「きみがよものがたり」の絵本をつくられた方にお話をお聞きした際、昔から朝鮮半島や中国、あるいは遠くイスラエルから大挙して多くの民族が日本に移住してきたにもかかわらず、その国々の国民性や民族性を引き継がず、「人やものをそのまま受容する、調和する」と日本独自の文化を築いたのは、日本という国土や言葉にそういった力があるのではないかということも言われていました。
日本が特別な国なのか、そうではないのか、それについては私の乏しい経験のなかではとても答えの出るものではありませんが、でもそこに『輪廻転生』という概念を入れてしまえば、全ての国にはそれぞれ固有の役割があり、全ての魂は、その固有の役割を学びに、いろんな国に転生をしてくるのだ、と考えられる気がするのですが、いかがですかね。
例えば、私はいま日本生まれの日本人として生きていますが、ちょっと前は、スイス生まれのユダヤ人としてヨーロッパで生まれ、人種差別とホロコーストを体験しました。
日本は宇宙から、神国としての特別な役割を与えられているのかもしれない。でも、今回、日本人として生まれ生きているにしても、それは何も魂として特別なのではなく、たまたま今生では日本人として生きているだけであり、1つ前は他の国に生まれていたかもしれないし、次は別の国に生まれるかもしれない。
そう思えば、多くの魂が日本を体験しており、世界中の人がかつては日本人だった経験を持つといえるわけで、「日本人である私は特別」ってことはなくなるように思うのですが、いかがでしょう・・・?
世界が仲良くなるには、民族が混ざりあい、混血を続ければ国なんて関係なくなるかも・・・と子供の頃思ったことがありますが、そんなことをせずとも『魂は続く』『私たちは死んでも、またこの地球に戻ってくる』と知れば、地球をほんの目先の利益だけで痛めつけたり汚したりできなくなります。
故郷の概念はどんどん広がり、地球そのものが故郷になってくるので、先祖代々の土地を守らなければと土地に固執することも、大量に核のゴミを出し続け子孫にツケを残しつづける生活も改まってくる気がします。
少し話題はそれますが、先日、「モンサントの不自然な食べ物」の映画を見ました。モンサントという一企業が農業を通じて世界中で展開し達成されつつある世界征服の様子はそれはそれは恐ろしく、しかも相手が巨大企業であるだけに何もできない無力感さえ感じました。
映画を通し、モンサントが推し進めた企業戦略の結果、自殺していった農家の数を知るにつけ、「人の苦しみを知ってなおかつ、企業利益を選び続けているここの役員、死んだら地獄に落ちるんじゃないか」と思ってしまいましたが、実際、彼らの悪行を止めるには、カルマの法則や魂の永遠性を知り、自分が成した結果はいつか自分に返ってくることを体感してもらうのが一番手っ取り早い気がします。
『輪廻転生』を知ると、日々の出来事や経験が全く違って見えてきます。私たちが行う1つ1つ選択が、将来、自分に返ってくるだけではなく、将来自分が戻ってくる地球ーーどこの国になるかは分かりませんがーーの状況にも影響を与えていると想像するだけで、日本だけではなく世界で起こる様々なことにも意識が向いてきます。同時に、いま住んでいる日本をさらに良い国にして後世に残す使命も感じます。
少なくとも、かつて日本を旅行した世界各国の人が感動した、しかし大戦後GHQの政策によって消されてしまったという日本人の美学(残念ながら私はそれを知らないのですが)は取り戻したい気がします。