毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

まだまだ私は偶像崇拝なんだなぁ・・・。
昨日、おとといと開催したケイシーの黙示録講座。何度聴いても、感動する!魂が高揚するというか・・・。

ご参加下さったのは全国から集まって下さった52名の方々。聖書など手にとったことがない、といった人も多かったんですが、最初に触れた聖書解読がケイシーだったという人は本当にラッキーだったと私は思います。

私は20歳前後のとき、パレスチナの歴史を調べていくなかで旧約聖書を手に取ったのが初めてですが、霊的な書物として聖書を開いたのは、やはりケイシーを知ってから。 「「キリストの秘密」
は、ケイシーが述べたイエスの物語ですが、キリストの秘密を読んだあとで新約聖書を読むと格別なものがあります。


第3回目ということもあり、今回の講座で、テンプル主催の黙示録講座はいったんお休みです。その代わり、この2日間の様子はDVDに編集して販売予定です。生のセミナーは素晴らしいですが、やはりご遠方の人にとっては参加するにはハードルが高い。でも、DVDができたら、ご自宅でケイシーの黙示録の世界に浸っていただけます。

画面を通じてどれほどケイシーのメッセージが届くか分かりませんが、黙示録は、この2000年間、まともに、しかも、全編を解説できた人はケイシーしかいないのですから、これは自ら学ぼうとしなければ学べません。

DVDの出来上がりをどうぞお楽しみに。
→ 黙示録講座DVDはこちら

今回もやはりうーんと思ったのは、聖書に「偶像崇拝」を良くないこととしているその理由。このことは、第2回の黙示録講座の感想のところでも書きましたが、偶像というのはキリストの像でも、仏像や何かほかの神様の像でもなく、自分の霊的成長から外させるすべてのもの(例えば、名誉や地位、権力といった人の上に立ちたいというような欲求、お金が欲しい、車が欲しい、家がほしい、美しいGFが欲しいといった物質的な欲求、あるいはサボりたい、楽をしたい、安易な道を選びたいといった怠惰さ)を崇拝してしまうこと。

ケイシーによれば、偶像とは肉的な地球的な欲望のことなんですね。

私の以前の知り合いで、人生半ばにして洗礼を受け、熱心なクリスチャンになった人がいます。彼女は、それ以前には一緒に神社巡りをしたり、輪廻転生の話しをしていたりしたんですが、洗礼後は一切、神社には行かない、知り合いが亡くなっても仏教式の葬式には行かない、というふうになってしまいました。

その理由が聖書では偶像崇拝を禁止しているから。

つまり神社には神社の神様がいる祭壇があり、お寺には必ず阿弥陀様の仏像がある。それに手を合わせることはできないと知り合いが亡くなってもお香典を渡してそのまま帰っていってしまいました。

彼女はとても質素な人でしたが、もし彼女が、友人の葬式でも手を合わせず帰ってしまいながら、一方で、出世したい、人の上に立ちたいと思っていたら、やはり彼女は偶像崇拝をしていることになります。


私はケイシーのこの偶像崇拝の意味を知ってから、何かをやりたいと思ったとき、「それは肉から出てきた思いなのか、それとも霊からきた思いなのか?」といったん冷静に考えるようになりました。

朝晩の瞑想も、時々、どうしても、絶対に瞑想をしたくない!と思うことがあるんですが(しかも1回瞑想をやらない時期ができるとずっとできなくなる)、そういうときは「あ~、私はどっぷり肉にいるなぁ」と。

しかも情けないのは、肉にいることに気がついても、やはりやりたくないという気持ちがあまりに強いときには「5分でもいいから座る」という簡単なことすら心と身体が反逆して、選択できなくなってしまいます。

昨年秋にお会いした獣医の森井先生は、30年くらい瞑想をされていらっしゃるそうですが、何度も何度も「振り出しに戻る」を繰り返している私には途方もない感じです。

でもまぁ、千里の道もはじめの一歩から。

だんだん、偶像崇拝の割合が減っていくよう今年はとくに精進精進!
by hiroshimapop | 2012-02-27 19:27 | エドガー・ケイシーリーディング | Comments(0)