高野山に来ています・・・
2011年 10月 31日
昨日の渡辺奈津先生の講演会も面白かったので、それについても書きたいと思いつつ、今朝は4時起きだったので、そのまま就寝。奈津先生のお話はいずれあらためて。
今回の高野山は、ダライ・ラマ法王の特別講話に参加するため。今日は「青年僧と語る」という内容。この青年僧というのがいいですね~。高野山高校や大学で学ぶ、お坊さんの卵たちが多数参加していました。
ダライ・ラマのお話を直接聞くのは、これで4回目。お会いするたびに少しずつ足腰が弱られているのが痛々しい感じがしますが、頭脳は相も変わらず明晰。そしてなんといってもチャーミング。
歩く姿、座る姿、サンバイザーを頭にかぶる姿、脱ぐ姿、その1つ1つが可愛らしく、客席で見ているだけなのに、自然に笑顔になってしまいます。何気ない仕草なのに、これほどまでに魅了されてしまうのは何故でしょう?
私は友人たちとダライ・ラマ法王を親しみを込めてラマちゃまとお呼びしているんですが、そう呼びたくなってしまうほど、ステージ上の法王は無邪気。もちろんチベット仏教の最高位の方ですし、ダライ・ラマ法王以外の誰に対しても、そんな不躾な呼び方は出来ないですが、法王に限っていえば、思わずそう呼びたくなってしまうほどの天真爛漫さです。
これほど1つ1つの出来事を、キャッキャと子どもみたいに楽しめる男性は世界広しといえどもそういないのではないでしょうか。しかも、しかめっ面して憮然とした態度でいても誰も責めないお立場で。
今日もステージ上のセッティングで少々不手際があったようなんですが(たいしたことはないものの)、「日本人はいつも礼儀正しくキチンとしてるけど、こういうこともあるんだなぁ、いやぁ楽しい」と、その不手際もジョークにして笑っていらっしゃいました。
以前、広島にいらして何かチベット密教の儀式をされたとき、友人も参列していたんですが、法王は、隣のお坊さんの頭から水滴がしたたるのを見て「頭がツルツルだから水がすぐに落ちる~」みたいなことを言って大笑いされていたとか。ご自身もツルツルなのにね。
以前私は、アメリカのグラディス・マクギャレイ博士のことを「感動の筋肉を鍛える」、「5才の子どものように」というタイトルで紹介したことがあります。
博士はもうすぐ91才。現在もまだまだ現役です。
今日、ダライ・ラマ法王と一緒にステージに上がられていたのは1929年生まれの松長有慶真言宗管長。松長管長も肌の色つやがよく、言葉もハキハキ。そしてQ&Aの受け答えが的確で、とてもそんなお歳には感じられませんでした。
管長もグラディス博士もダライ・ラマ法王も高齢ではありますが決して老人ではありません。
3人とも、常にいろんなことに好奇心と探求心を持って新しいことを学ぼうとされているように感じます。ほんのささやかなことに感動できるので、幸せ度が並はずれて高い気もします。ユーモアのセンスと、辛いことでも笑いに変えてしまう余裕が心にあります。そして何より謙虚。
法王のお話を聞きながら、ときどき夢の中に誘われてしまった私ではありましたが、今日のお二人のお話や人柄に触れたことで、そして、グラディス博士のこともあわせ、神や仏が自分の人生の中心にあると、そして、聖書や仏法に生きると、こういう人になれるのかと、人として、その目標や指針を与えられたように感じました。
ついでに書くと、戦後、日本の政治や経済、教育から、宗教的なものがバッサリ切り捨てられてしまいましたが、その延長に起こっているのが、今の福島のことじゃないかと思います。見えないものは存在しないと教えられてきた世代が日本の中枢を担い始めたとたん、見えないものに私たちは脅かされてしまっているんですからね。
先日亡くなったスティーブ・ジョブスは、禅に魅せられ、若い頃出家寸前まで行ったそうです。極限までシンプルに、そしてシンプルの美しさが、もとは禅の心から来ているというのは、日本人としてかなり誇っていいのではないでしょうか。
スティーブ・ジョブスが魅了された仏教の世界観。私もちゃんと学んでみたくなりました。