映画「フード・インク」を見て
2011年 03月 01日
私の子どもの頃は、近くで牛乳を作っている小さな会社がありました。うすぼんやりとした記憶ですが、そこに友人は母親に頼まれて空瓶を持っていき、新しい牛乳をもらっていたのを覚えています。
お豆腐屋さんも近所にあって、早朝からお豆腐屋さんがお豆腐を作っている姿を見られたし、パン屋ではパンを、製麺所では麺を作っている姿も見ることができました。食が生み出される現場が、私の子どもの頃にはまだまだ身近でした。
それが今では、小さな家族経営の工場はなくなり、より大きな、よりオートメーション化された食品メーカーに代わってきました。
それは精肉の現場も同じこと。私は肉は食べませんが、食卓にあがる鳥や牛、豚肉、魚たちはもとはといえば、いのちある生き物たち。自分たちの身近で育てた生き物を自分たちの手で絞めて解体して食べていた昔と違い、今は全くその現場が食卓から遙か遠くに、そして消費者から見えないように隠されています。
私は肉や魚を食べることは全く否定はしません。この地球に肉体を持つ人として生まれたからには、他のいのちを受け継ぎながら生きなければならない宿命を持っています。
でも、大企業が食に関われば関わるほど、そのいのちがどんどん軽く扱われてしまっています。単に人間の胃袋を満足させるために生み出され、愛され、大切にされることなく生育され、そしてオートメーションの機械によって殺されていく・・・。モノのように扱われ、モノのを壊すように殺されていく。それはあまりにも残酷。
アメリカの場合、食肉を扱う工場では多くの違法移民が連れてこられ、劣悪な環境の中で働いています。人として尊厳ある扱いをされない人たちが、殺されていく動物たちを手荒に扱っていく。いのちの循環を知っているなら、段ボールだって蹴飛ばすことはできなくなります。
そうやって劣悪な条件の中で生まれ育ち、食肉となった肉を食べた人の心が、全くその影響を受けない、とは考えられません。1度や2度ではなく、そんな肉を一生食べ続けているわけですからね。
この映画を見ていると、世界中で起こっている様々な食の事件、鳥インフルエンザや口蹄疫、狂牛病などは、そういった尊厳なく扱われてきた動物たちの復讐のようにさえ思えてきます。
こんなに動物たちを壊れたモノのように手荒に扱うなら、最初から「いのちある牛や鳥」ではなく、人工的に牛肉もどき、鶏肉もどきを合成できないものなんでしょうかね。
私たちの食がほんの数社の大企業によってコントロールされている実態。知っておいたほうがいいと思います。
同じような内容の映画で「いのちの食べ方」というものがあります。こちらは料理の仕方ではなく、野菜や肉、魚など「食材」の作り方。もとはいのちだった生き物が、どのように扱われて私たちの食卓に上ってくるのかのドキュメンタリー映画。DVDで購入も可能です。