新・片づけ術「断捨離」
2010年 01月 08日
以前、テレビでも雑誌でも、収納術が大流行。家にあるゴチャゴチャをいかにキレイに収納するか-つまりどこに納めるかに、誰もがエネルギーを注いでいました。「収納スペースが大きい」というのは、いい家の必須条件でしたし。
でも、キレイに収納したとしても、それが1年も2年もずっとそのままだったら、それはもう不要品。キレイに片付いたデッドスペース-死んだ場所が生まれるだけです。
以前、知り合いが、日本で暮らしているヨーロッパ出身の女性の家に遊びに行ったときのことを話してくれました。彼女のアパートは、広さでいうと、1K。6畳の畳のお部屋と小さなキッチン。その小さなスペースで、彼女は自分のサークルを開き、毎週、人が集まっているとのこと。
寝たり起きたり、食事をしたり、そして人が来たり・・・。そのすべてが6畳の一部屋で行われているということに私は驚いてしまったわけですが、友人いわく、その女性のアパートには「最低限のもの」しか置かれてなかったそう。
その潔さは、まるで禅のようだなぁ~といたく感動してしまったんですが、その話を聞いたからといって、私の部屋はあいかわらずのゴチャゴチャ。引っ越しのときに本はすべて会社に持ってきましたが、その後に買った本ですでに本棚はいっぱい。またあちこちに新たなピサの斜塔をつくっています。
その他のものも、引っ越しのたびに片付けてはいるものの、ずっと使ってない食器や、もう何年も着てない洋服があいかわらず、部屋のスペースを占領しています → 寝室に置いている洋服ダンスなんて、ふだん着ない洋服や着物しか、入れてませんもの・・・(いつも着ているものは、洗濯機の中か物干しにあるか、たたんだままで洋服かごに入っているか・・・)。
でも「断捨離」を読んで、ガッテンしたことがいくつか。私が洋服を捨てられない理由がよーく理解できました。
いわく、家の中を片付けるときには、「もの」を主人公にせず、「自分」を主人公にすること。さらに過去でもなく、未来でもなく、「いま」を主軸にすること。
つまり私が洋服を捨てられなかったのは「買ったとき値段が高かったから」とか「今は着れないけれど、いつか着られるようになるかも」、あるいは「**さんに戴いたものだから」という、過去もしくは未来、あるいは他人の気持ちに主軸を置いて考えていたからなんですね。
たしかに。たしかに。サイズが合わないし、今後、絶対、誰も着ないと思われる母の洋服も、この数年間、引っ越しのたびにそのまま残っていますもの・・・。
これまでは、スッキリお片付け推奨本として、「ガラクタを捨てれば自分が見える」をオススメしてきましたが、この「断捨離」は、片付けの指針づくりにとても参考になると思います。
旧暦のお正月まで、あと1ヶ月弱。
2009年の大晦日まで捨てられなかったものたちは、それまでに断・捨・離に励もうっと。