5月に菊谷泰明さんが書かれた「
聖母マリアのメッセージ」を読んだあとも、私の読書の旅は続いています。
その後、聖母マリアが出現されるというメジュゴリエへの旅で人生を変えた人々の証言書「メジュゴリエの証言者」を読み、その本に紹介されている聖母マリアのメッセージに何度も「悪魔」という言葉がでてくるので、次にエクソシストについての本を読み、とうとう、先日、カソリック向けと書かれた聖書まで買ってしまいました。
★書籍「
エクソシストとの対話」は、日本女性がイタリア各地を取材し、現在なお行われている悪魔払いについて書いたノンフィクション。推理小説を読んでいるかのようなおもしろさ。おどろおどろしいオカルト本では全然ないので、イタリアの別の顔に興味がある方はおすすめします。
さて、聖書に話題は戻し、
キリスト教徒の方には、当然の常識!なんでしょうが、私はカソリックとプロテスタントの聖書の違いがよくわかりません。
これまで本棚に入っていたのは新改訳。AREに初めていった1992年購入です。
ただ、どうもこの現代風の聖書が私は好きじゃなく、どうせならほかの訳の聖書で読みたいと、口語訳、文語訳、新共同訳、新改訳・・・・と見ているなかで、1つ、個人が翻訳された聖書が・・・。イタリアから宣教師として来日された方が、コツコツ翻訳されたものだとか・・・・。まるでイスラエルで私が大好きになった
ヒエロニムス(30年かけてヘブライ語の聖書をラテン語に翻訳した人)みたいじゃないですか!
カソリック用とあったんですが、プロテスタントもカソリックも、私にはどっちも「キリスト教」。きっとクリスチャンの方は「全然違う!」とおっしゃるでしょうが、細かい違いより聖書そのものの読みやすさと「挿絵がたくさんある」「解説がたくさんある」を基準に、
この聖書(フェデリコ・ バルバロ訳版)を買ってしまいました。
ケイシーは、毎年、旧約の創世記から新約のヨハネの黙示録までを1年かけて読み通しました。つまり年齢の数だけ、聖書を読み通したことになります。
私も、ケイシーを知った当初、1~2回、チャレンジしてみましたが、これがなかなかハードルが高い。
でもこの聖書だったら、挿絵がたくさんあるので、1年は無理でも2年がかりくらいで読み通せるかしら?と今は甘い期待をしています。

訳が違うと、全体を流れるトーンは、これまでもっていた新改訳とはかなり違います。
馴染みの創世記はこんな訳になっていました。
神は天と地をつくられた、それが始まりであった。
地はととのわず、むなしく、やみが底知れぬふちを覆い、水の上に神の息吹が舞っていた。
神が「光あれ」と仰せられた。すると光ができた。神は光をよしと思われ、光とやみを分けられた。神は光を昼と呼び、やみを夜を呼ばれた。こうして夕べとなり、朝となった。これが1日めである。
また神が「水の間に屋根ができて、水と水を分けよ」と仰せられた。そして、そのようになった。神は屋根をつくり、屋根の上にある水と、屋根の下にある水とを分け、この屋根を天と呼ばれた。(神はそれをよしと思われた) こうして夕べとなり、また朝となった。これが2日めである。
マタイがマテオになっていたり、イエスがイエズスになっていたり、言葉はちょっと違います。
英語ではダビデがデイビッドだったり、ヨハネがジョンだったり、やはり、多少の混乱はあります。
まあ、そんなことより、今回は、挫折せず、ちょっとずつでも読み通したいものだと思っています。
by hiroshimapop | 2009-08-18 16:01 |
こんなものを買いました |
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