毎日がエドガー・ケイシー日和 ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフル店長が世界を飛び回りながら、今を健康的に生きるヒントをお伝えします。

毎日がエドガー・ケイシー日和

いのちの力をつかまえろ
圧倒されてしまいました。

山田バウさん(山田和尚さん)が書かれたこの本は、山田バウさんが、まだ神戸元気村の代表をしていらっしゃるときに書かれたもの。

1985年の日航機の墜落、1995年の神戸の地震、2001年の9.11
おそらく、多くの方は、この惨事をどこで見たか、そのとき自分は何をしていたかをハッキリと憶えているのではないかと思います。

1995年の神戸地震のとき、私は兄と横浜の一軒家に住んでいました。
その日の早朝、兄がバージニアビーチのケビン・トデッシー(現在、AREの会長になった)から、日本が大変なことになっているからすぐにテレビをつけるようにと国際電話を受け、兄がテレビをつけたことからその日は始まりました。すぐさま「なおちゃん、神戸が大変だ」と、叩き起こされ、私もテレビの前に。

美しかった神戸の街が瓦礫と化し、なにがなんだか分からない。
でも、私はテレビのこちら側にずっといて、神戸に行こう!とか神戸に行かなくっちゃ!とはまるで思いもしませんでした。温かいぬくぬくとした自宅のこたつの中で、ずっと「神戸」のニュースを見ていたんです。

でも山田バウさんは、すぐさま「動こう!」と思い、神戸に一人、向かいました。
「2週間くらいかなぁ」と家族に伝えていながら、それから7年間、神戸の元気村の代表として神戸に在住。

その前は、オゾン層が大変だ!と、たった一人で車に寝泊まりしながら、家を売って資金をつくって、日本全国の自治体1300カ所を廻り、フロン回収と分解までのシステムを日本全国に作ります。

ロシアのナホトカ号が日本海に座礁して重油が流失したときには、福井県の海辺で、柄杓を借り、たった一人でその重油を組み始めます。そしてバウさんのはじめの一歩がきっかけで、多くの方が柄杓とバケツをもって重油をくみ始め、あの福井の海は、ほぼ人海戦術で美しい海が戻ったと聞いています。

たった一人でもはじめてしまう。

「対岸の火事」ではなく、我がことのように心を痛め、そして自分のできる最善を尽くす。そしてそのバウさんを妻も子ども最大限のエールで応援します。資金が底をついたときに自宅を売ってバウさんの活動資金を作るようにと言ったのは息子さんでした。「家より地球のほうが大事でしょ!」って。そしていつもこう言って父親のバウさんを送り出されたようです「お父さんがやらなくて、他に誰がやるの!」

あ~。私はバウさんに比べたら、なんて人間が小さいのかと本当に恥じ入ってしまいました。

地震が来たら、きっと私は、お弁当をもらう列に並ぶ人間ではなく、お弁当を配る立場になるだろうな、と自分では思ってました。子どもの頃から先頭をきって何かをする性格でしたから。でも、それは自分の身に降りかかってきてから、のことであって、遠い神戸や遠い福井のニュースは、テレビのスイッチを切ったらすぐに、そのニュースのことはすぐに忘れ、いつもの自分の生活に戻っていました。

力仕事も、痛いのも、臭いのも、汚いのも嫌いだし、できたらキレイな場所にずっといたい人間なんです。やはり私は・・・・。

バウさんは、いま、稲田芳弘さんとともに、ガストン・ネサンのソマチットや714Xを日本に広める活動をされています。そのほかに、ブラジルから日本に出稼ぎにきて、失業してしまった方々の支援もされています。
同時進行で7つのプロジェクトを抱えていらっしゃるそうですが、私も何かバウさんの活動が支援できないかと考えているところです。

いのちの力をつかまえろ」は、すでに絶版で、amazonなどの中古でしか入手できないようです。
近所の図書館にあれば、ぜひ読んで下さい。
by hiroshimapop | 2009-03-16 21:24 | セミナー・舞台情報 | Comments(0)